不撓不屈! 飯塚毅先生の想い出

平成18年8月
                  公認会計士・税理士 飯塚 勉
 
 映画「不撓不屈」は、私の恩師TKC総帥 飯塚毅先生の7年にも及ぶ関東信越国税局との闘いの全貌を示した、当時「飯塚事件」といわれた実話であります。

 平成18年6月17日の封切からほぼ1ヶ月で、「洋画・邦画合計部門」で入場者数第9位の記録を成し遂げたが、尚、8月9月にかけて全国的な地域の文化会館で上映されることになっております。まだ、ご覧になっていない方、是非見逃さないようにして下さい。それはそれは、壮絶な闘いであったことを目の当りに見事に再現しております。

 丁度この事件が終る頃にTKC全国会が創設され、昭和48年に私はTKCに入会いたしました。同姓のよしみでしょうか、何故か先生からは特別に可愛がられたように思います。TKC東京会の副会長職、続く会長職を仰せつかり、TKC金融保証株式会社の監査役に就任したり等々、その他ありとあらゆる公私に亘る相談・打ち合わせを行ってまいりました。以後、元気でいらっしゃった20数年間というもの、会長とのやりとりの無い日が1日でもあっただろうか。どこかのTKC関係の書物に「電話魔飯塚毅会長」なる一文を書かせていただいた所以です。

 しかし、飯塚毅先生のあの事件の内容の全てを、たかだか2時間で語り尽くそうとすることに、どだい無理があります。私としては、もっともっと色々と触れて欲しかったことが沢山あります。そうでなければ、映画を鑑賞する人に対し完全な理解を与えることなど到底できるわけがないと思いました。勿論、日本経済史上に例を見ないこの「飯塚事件」とは、国税当局が一税理士事務所とその顧問先に、税務調査官延べ5,400名を投下した実際にあった話です。
 特に、映画の中で問題視されていた「特別賞与」も「旅費日当」も今でこそ形を変えて税法の許容するところとなり、常識化されておりますが、先生は諸外国の文献と法令及びわが国の法制から、当時絶対の自信をもって顧問先に指導してきたのであります。その当時の毎日々々の新聞紙上の脱税税理士・極悪人等々の罵詈雑言は、それは凄まじいものでございました。これが7年間続いたのです。これ程の期間、職業会計人で耐えられる人は古今東西皆無でしょう。むしろ、気の毒なのは飯塚先生を選んでしまった国税当局で、もし他の人であれば、とっくに惨敗で終ってしまったことでしょう。当局にとって相手が悪かった。
 そんな状況の中で、飯塚先生は信念で耐え抜きました。先生は、
  1. 自分の事務所の金庫に一度も手を触れていない。
  2. 関与先から報酬を直接に受け取っていない。
  3. 巡回監査においての指導事項など、証拠書類を完全に残していた。
  4. 事務所と関与先を守るために、「決算証明3表」を活用していた。
        (@ 書類範囲証明書 A 棚卸資産証明書 B 負債証明書)
 むしろ私は飯塚先生のその沈着な、自信に満ちた精神構造の源泉を伝えて欲しかったと思います。それは、座禅による修行と国内、国外から取寄せた万巻の書をバックにした知識と、完全な順法精神に則った指導をしているとの自信だったのです。

 この飯塚先生がこれ程の人になったのには、いろいろなイキサツがありました。ご本人から聞いた話を二つほどご紹介しましょう。
 少年時代、飯塚先生はとてもひ弱な子供だったらしい。運動会にも出してもらえない、専ら見学組みの中に居たようです。鹿沼農商3年生の時に、立正大学の片山隋英教授の「人生観」という話を聞いたことがありました。講演が終った時、飯塚少年は片山教授に「先生!助けてください。僕は血を見ると吐くんです」とすがりついて話をしたら、片山先生は「坊や、私もそうだったのだよ」といわれた。「坊や」という表現だが、少なくとも旧制の3年生なら14〜5才のはずなのに、余程虚弱児童的なひ弱な少年であったことが想像されます。そして、教授は続けて「身体に水をかぶりなさい」といわれた。飯塚少年は以後毎日、真冬であっても30杯の水をかぶることを実行いたしました。これがあの強靭な精神力の源になったのでしょう。
 こんな話もあります。昭和63年の「正規の簿記の諸原則」の論文で、日本会計研究学会賞、つまり太田賞受賞のパーティの席で話された時、開口一番「僕は残念だ!空海を抜けなかった」といわれた。「あの弘法大師は、あの時代に外国文献600冊を引用しているのに、自分はまだ230冊にとどまった」といわれた。つまり、引用文献の冊数で空海を抜けなかったといわれたのだが、比較する相手も相手なら、ゲスな私としては、よくぞ引用書籍の勘定までできたものだとあきれたものです。

 30年間(正しくは27年間)に亘る座禅を経て、在家でありながら悟道に達したとされ、植木義雄老師から印可状を受取った飯塚先生に対し、老師は「更に参ぜよ30年」の言葉を残しております。ご覧になった映画の中で、3人の子供がテレビを見ていた時に飯塚先生が帰宅され、子供たちがテレビの音をそのままに、一斉に一列に並んで座禅を組んでいた様子を写していましたね。あの時に、子供のおでこを突っつきながら、先生が「二念を継ぐな」といった言葉を覚えていらっしゃいますか。たったこれだけの言葉だったのですが、この言葉には大きな意味があって、「無念無想になること、生活の対象物と常に一つになって暮すこと。そこに自我の意識を一点も持たないこと。白隠禅師は、無心になる方法の最短距離として二念を継ぐな。」と教えました。これがあの時の言葉とどう関係するのか、一般の者には分かりにくいが、そんな対話をしていたのです。一家中ではごく当り前の会話だったのでしょう。

 ご縁を持ってから病床に就くまでの20数年間、この私のみがそのあたたかい温情を受け止めていた分では無いでしょうが、禅に鍛えられた方の指導はとても厳しく、私などは常に「馬鹿者!」と怒鳴られていたような気が致します。映画の中のようなあんな優しいオヤジではなかった。

 時に私も反発したことがあります。
 「穴からようやく這い上がってきたライオンの子供の手を踏みつけて、またまた深い穴の底に突き落とすようなことをやっていたら、先生、ひ弱な現代人は結局付いていけませんよ。もう少し、手心を加えたって良いのではありませんか。」「・・・・・・・・・・・・」(先生はこの時は無言でした)


 しかし、病床に伏してから急に何の連絡も無くなった。よく「ベンさん、ベンさん」と呼んで下さっていたルナ子夫人ですら電話を取り次いでくれなくなりました。そして、私はといえば、あのガミガミが無くなって実にポカンとしてしまった。虚無感というのか、仕事に、生活に張り合いも何も無くなった。そんな期間が、そう半年ぐらい続きました。

 先生によく言われたように、私は本当に馬鹿だった。あの「馬鹿者!」が大変な叱咤激励だったことは、その時まで分からなかった。ただ、ひたすらに無我夢中だった。

 飯塚毅先生は本当に温情あふれる良き指導者でありました。

 
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